《第2回》

〜奥大山での起業を一旦は諦めた〜

倉吉から江府町まで車で通勤する事になった事をうけ、グーグルマップで倉吉から江府町までの所要時間を調べると、なんと1時間30分もかかることがわかりました。 63歳から起業し、今後20年以上毎日往復3時間運転するのは体力的に難しいのではないかという現実問題と、奥大山以外で、もう少し近い場所に拠点に置いた場合は、奥大山という強力なブランドを使用するビジネスプランが成り立たなくなる事のつらさで大いに苦しみながらも年齢と体力を考え、泣く泣く奥大山は江府町での起業を諦めざるを得ないと思うようになったのでした。そして、ようやく断腸の思いで江府町での起業をあきらめ、他の町で起業することを検討し始めるのでした。

そんな時に新たな展開がありました。鳥取移住に備えるべく、令和元年11月16日第7回「鳥取来楽暮カフェ」(大阪)に参加した時の事です。自分は、この時点ですでに過去5回参加しており、各市町村からのプレゼンや移住者の体験談などを直接お聞きする機会が複数回ありました。

鳥取来楽暮カフェ

自分の中ではすでに奥大山は江府町での起業を諦めておりましたが、情報収集のチャンスは多ければ多いほど良いと思っていたので、敢えて江府町のブースに立ち寄り、ご担当者様とお話をさせていただきました。 通常、各ブースは該当市町村の職員が対応するのですが、江府町だけは違っておりました。


ここだけは「NPO法人 こうふのたより」の上野真事務局長と末次多衣子さんが熱心かつ積極的に対応されておりました。各市町村の職員さんも、もちろん親切に対応して下さるのですが、このブースには何とも言えない温かさや親しみがあふれており、自然とリラックスできる雰囲気があるため、何も隠すことなく今迄の事情を全てお話しさせていただきました。

今後20年以上にわたり、倉吉から江府町までの往復3時間の運転はきついので、泣く泣く江府町は諦め、より近い町での起業を考えているとお話ししたところ、上野事務局長から自分にとって極めて重要な情報がもたらされました。

倉吉から海側のルートで江府町へ

それは、倉吉から海側のルートで江府町へ来る場合は、確かに1時間半かかるが、大山の南側を通ってショートカットすれば1時間で来ることが出来るというものでした。


自分の頭には倉吉から江府町まで海側を通るルートしかなかったため、この情報は大げさでは なく、人生の大転換になる情報でした。元々、コーヒー生豆を洗うには、全国ブランドである奥大山は江府町で起業する事自体に大きな意味があると考えていたため、マーケティング的にも奥大山での起業に強くこだわっていました。

大山の南側を通ってショートカット

しかし年齢と体力な事を考え、泣く泣く諦めていたところへ、この情報により元々起業したかった奥大山での起業が復活できた瞬間でした。


常々、情報の質と量は、相手との接触回数ごとに高まるものと考えていたので、この情報にたどり着くまで鳥取県移住定住フェアに欠かさず出席し、6回目で知り得た情報です。継続的な情報収集がいかに大切かを実感するとともに、この地で起業するよう導かれているかのように思えました。

この回のフェアの移住者体験談は、江府町からBMXライダーの冨永勇太さんがお話して下さいました。冨永さんは、自分の住まいを安く仕入れた木材を利用してリノベーションし、見違えるように部屋を綺麗に直したお話しにはとても興味が沸きました。特に、「電動ドライバーなどは、プロ用とアマチュア用では、その性能に大きな違いがあるので買うのであれば、必ずプロ用の道具を用意したほうがいい」などと具体的なリノベーションに関わる情報を細部にわたりお話して下さいました。

冨永勇太と相談会 なぜ自分がこの話に興味があったかと言えば、仮に自分が焙煎拠点をみつけたとして、そこをなるべくお金をかけないように自力でリノベーションしようと考えていたからです。その時のために、なるべく多くの情報をいいただくため、しっかりと冨永さんに細かい事を質問させていただきました。
上野事務局長や末次多衣子さん、冨永勇太さんとの出会いは本当に不思議なご縁を感じます。 今までの人生もそうでしたが、自分が何かをしたいと強烈に思った時には、欲しい情報や周りからの手助けが自然と差し伸べてくれるような経験を幾度も経験してきました。追い風が自分に吹いている!今回もそれと同じ感覚を覚えるのでした。冨永氏とはこの後、もう少し深く関わる事になるのですが、この時はまだ知る由もありません。今回の移住定住フェアでの出会いが、新たな展開をもたらし、以前にも増して事業への意欲が湧き出るのでした。(つづく)

≪ 記事一覧
 
page top
>